2000年問題、それは、男たちの約束。。 「2000年問題」と聞くと、大抵の人は、「コンピュータが誤作動する、あれか。」と思われるのでしょうが、仲間内でのY2Kは、全然違うものでした。(^^;;;
事の起こり 時は、1995年3月(もうそんなに昔になるか。。。)広島にある、広島修道大学の卒業式の後のツーリング部の打ち上げで、番外編の主役でもある猪川が、「決めた!2000年5月5日、正午に北海道宗谷岬に集合!」と。。
ベロベロに酔った我々は、
「よし!行こう!!2000年に宗谷岬集合だ!」という話になったのですが、猪川が一言付け加えたのが「全員、大型二輪でな!」(^^;;; しかし、この言葉も飲みの席では、
大型二輪(免許もバイクも)など持っている人間は一人もいないのに、より飲み会が盛り上がる要因にしかならないのでした。(^^;;;
1998年。まだ大型二輪免許持ちは1人。。 なんとなく、卒業して3年が経過。
ある飲み会の席で、
「2000年問題はどうする?」とにっしぃが言い出した。正直、当初1〜2年は、この話題は結構持ち上がっていたモノの、この1年はめっきり話題に上らなくなっていた、と言うより、少し忘れかけてられていた。
だが、無理なことをしてでも、意地でもイベントには顔を出すのが
「男らしい」と評されていたので、一も二もなくまた、2000年問題に向けてプロジェクトが始動するのである。当初、北海道には猪川が住んでいたので、猪川の家をベースに北海道を旅する予定だっが、期間付きではあるが、猪川が東京に転勤となり、2000年時点でも東京にいることから、日本最北端を目指す、当初のプランは変更がかけられていった。
「で、どこにするん?」
「俺らぁが、5年ぶりに集合するんじゃけぇ、
日本一のところに決まっとろうが」
という他愛もない話から、大阪と東京の間の日本一、琵琶湖と富士山がパッと思いつくが、「琵琶湖ではなぁ。。。(^^;;;」ということで富士山に決定!
1999年3月、KUROCCO大型二輪取得。 営業中の出来事であった。松屋町筋を南下中、バイク屋の前にピッカピカのカタナを発見。なんとなく車を停めて、近づいてみる。55万円ピカピカの国内仕様だ。どノーマルで、ブレーキホースだけ交換してある。旧オーナーは年輩の方だったとのことで、大事にしてもらっていたらしい。
「検込み58万円にしとくよ」
「じゃ、1台ください」みたいなノリで、購入決定。さぁ、免許を取りにいかなきゃ!!(^^;;;
3週間後、免許を取った当日に、バイク屋に引き取りに行き、乗って帰る。
「なんてブレーキが効かないんだ!?」翌日、営業先のスーパー「カナエ」の近所のカスタムバイク屋に駆け込んだのは言うまでもない。。(^^;;;
このころ、にっしぃが、XJR1200、猪川がFZ750、JJJがニンジャ900、ムカポンがブラックバードと、本格的に車両の準備が進んでいくのである。
2000年3月プラン確定。そうこうしている内に、とうとう2000年がやってきた。
最終メンバーは、ムカポンがイベント関係の仕事で休めないので(休むとクビらしい)
・西からのメンバー:広島より、にっしぃ、JJJ。大阪よりKUROCCO
・東からのメンバー:猪川のみ
と、1995年時点での参加メンバーの半分。
しかも、猪川は、
某北海道の火山噴火のため仕事が激増とのことで、来れるかどうか微妙な線となってしまった。
西からのメンバーのプランは、KUROCCOがルート等までプランを立てることになり、ついでに宿の手配まですることになってしまった。
2000年5月3日。脱落者が。。。
当時、深夜0時過ぎまで仕事をしていたにっしぃは、仕事が終わった後、JJJと合流、その足で大阪まで高速でやってくる。到着予定は、朝4時頃。バンス管の爆音を轟かせて若干遅い5時頃、にっしぃが到着。
しかし、ここで意外な事態が。。
なんと、JJJが風邪で熱があるため、ここで引き返すことにしたらしい。。(^^;;;
それなら、うちで泊まっていけばいいのに、その日のうちに帰ると言い張るので、もう止めないことにした。
この時点で、すでにJJJのバイクはない。。 その後、猪川の方も、電話がかかったら、すぐに仕事先に行ける体制で待機するように指示が出て、とても富士山まで来れないらしい。残念ながら、2000年問題はにっしぃと二人っきりでの決行となった。
そのまま、10時過ぎまで仮眠を取って、11時頃出発!
名神は京都南の手前から渋滞。さすがG.W.。。その後も栗東付近、米原付近など、お約束の場所で渋滞をすり抜けながら進む。あまりペースは上がらない。
今回は富士山の北側から南側に抜けて、帰りは東名を使って戻るスケジュールを予定していたので中央道に入る。BMWのR100RTで150km/hアベレージで走るおねーちゃんがいたのでついていって見たりしながら、諏訪湖を通過。さらに1時間程度走ると、
いよいよ夕焼けの霞の中に富士山が見えてくる!!ツーリングライダーの方には大したことないのでしょうが、実は、KUROCCOは泊まりがけのツーリングは生まれて初めてなので、なんだかとっても遠くへ来たような気がして、すんごく感慨深い。先行するにっしぃも富士山に気付いたらしく、指差した後で、大きくガッツポーズを取る。
なんか、感動してしまいました。(*^。^*)
カタナを買って、にっしぃと一緒に来てよかったなぁ、とホント思いました。
しかし、その後は結構キツい。見えた後も全然到着しない。。(^^;;;
結局その日に泊まったペンションに到着したのは、夜7時頃。アベレージが異常に低かったなぁ。。休憩が長すぎると言うのもあるけど。。(^^;;;
ペンションでは、雨露のしのげるガレージにバイクを入れさせていただいて、大感謝。m(_ _)m
今回お世話になったペンション「案山子」 →で、ペンションでボリュームたっぷりの夕食とビール一本を済ますと、
にっしぃはもうダウンしてしまいました。(^^;;; ま、こっちが500km走ったということは、にっしぃは広島からだから、プラス350km。。疲れて当然ですね。
で、一人でワインを傾けながら、テレビをつけると。。(゚゚;)ハッ
「広島でバスジャック事件発生!高速道路は全面閉鎖!?JJJは帰れたんだろうか???」(^^;;;(その後の情報で、やぱし、散々の渋滞の後、高速を降ろされて、下道で帰ったらしい)
JJJ。それはそれはついていない男である。(^^;;;
2000年5月4日。いよいよ富士山へ。朝、すっきりと二人とも目覚め、富士山へと向かう。
富士スカイラインの料金所に向かって、気の遠くなるような、長い渋滞が続く。当然、すりすり抜けながら進んだのですが。。列の最後に人達って、いったい何時頃に五合目まで上がれたんだろうか?(^^;;;
他人事ながらちょっと気になる。。
で、富士スカイラインですが、「気持ちいい!!」直キャブなので、標高が上がると濃くなってゴボつくだろうと思っていたのだが、ほとんど関係なく走れる。
で、富士山五合目に到着!別に、富士山に登山に来たのではなく、「みんなで会おう」の約束を果たしに来ただけなので、ここで2000年問題は終了。早速、猪川に完了報告の電話を入れたが、仕事中らしく、電話に出ない。(その後に留守電にお祝いの伝言が入っていた)
五合目駐車場付近 →
ここからは、ところどころで記念写真を撮りながら、また結構いいペースで下る。その後、山中湖を除く、富士五湖を回り、風穴とかに入って観光などをしていると、
にっしぃのXJRがイグニッションをONにしても動かない!!
まともな工具も持っていないし、どうしたモノかと思いながらシートを開けると。。バッテリーの
マイナス端子が外れてるだけか。。(^^;;; 適当なネジを移植してみると、あっさりエンジン始動。いやぁ、安心しました。
眼下に雲を見下ろす写真だったのですが、雲がわからないですね。(^^;;;
その後、
オルゴールの館とかいうところに、冷やかしのつもりで入ったら、これが結構
のんびり出来てなかなかいい!! ゆっくり過ごしたかったが、閉館まであまり時間がなかったので、残念だが出る。
男同士でくるところではないが、それでもいいところでした。
その後、夜に飲む酒を調達するべくコンビニに行ってみると、斜め向かいにハーレー屋。。
「あれってモーターサイクルDEN?」にっしぃはハーレーに興味がないのだが、無理矢理引っ張って入ってみると、そこには
伝説の「TITAN」が。。(実は、KUROCCOは大のハーレー好き)
お店の人に頼んで、記念に写真を撮らせていただきました。
ハワイのショーで日本人作で初優勝を取った「TITAN」
で、その晩は、にっしぃと大いに語り、飲む。
5月5日。帰路につく。。
いよいよ、最終日。
お世話になったペンション、「案山子」をあとにして、大阪へ向けて出発。
山中湖を回って、今日も綺麗な富士山をバックに記念撮影。
富士山バックににっしぃ→
富士山の東側を回って、富士スバルラインに抜ける。ここで、走りながら記念撮影。(良い子はマネしちゃダメ)(^^;;;
良い子は真似しちゃダメ!!
天気のいいなか、富士山周辺はとっても気持ちいい。
こんないい環境にアクセスしやすい関東の人達がとっても羨ましく思いました。
で、富士インターから東名高速に。。カタナ乗りなら誰でも読んでる「キリン」の舞台となった、由比浜を左に見ながら下る。
その後、毎度の渋滞に断続的にはまりながら、大阪に18時頃到着。
近所の居酒屋「こま」で、楽しい時間を過ごし、2000年問題は無事終了しました。
最後に。。
「2000年問題って言っても、ただ二人で富士山にツーリングに行っただけじゃないか」という声があるだろうと思いますが、当初の企画のきっかけ、そのために限定解除と大型二輪購入、という経緯など、結局二人だったのですが、当時、全員が中型しか持っていない状況で、その用意をした人間は5人残った。。と言う意味で僕の中では特別なツーリングとなりました。
昔を思い出しながら書いた、だらだら長いレポートに最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。m(__)m